こんばんは、ラッタです。
普段の方のメールに書いてもいいのですが
あえて、こっちの方に書こうかな。
こういうふうにメルマガを発行していると
問い合わせというカタチで
返信をもらえることも結構あってですね、
その中でも多く頂くお問い合わせが、
「せどりを実践中だけど、
どこまで仕入れしていいのか解らない」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
って内容の返信です。
「どこまで仕入れしていいのか解らない」
っていうのは、
「価格差のあるものが見つからない」
とかいう意味ではなくて
「価格差もあるしランキングも高いけれど
正義が邪魔をして仕入れができない」
みたいな意味ね?
「本当に商品が欲しい人を差し置いて
転売目的の為だけにそれ買うってどうなの?」
みたいな。
とくに新品せどりをしようって人は、
こういうこと考える場面が少なくないかもですね。
まあ、こういう感情や疑問を抱くのは、
至極”正常”だと思います。
僕もせどりを始める前まで、
買い占め&転売厨みたいな奴には
相当冷ややかな視線を送ってましたし、
ライブとか良く行くので、
今でもダフ屋とか大っ嫌いだしね。
震災直後の水や非常食買い占め転売など、
そういう連中が沸いて出たときにも
「今日死んでくれないかな?コイツラ…」
って思ったものです。苦笑
僕自身、CDせどりをしているけど
予約転売だけはしていない。
だって『嫌い』だから。その手法。
儲かると分かっていても。
限定版みたいなものは数に限りがあるし、
予約してでもその商品が欲しい人が
他にいるかも知れないのに、
その人の分まで買い占めて
高値で他所へ横流しするとか誰得だよ?
って気持ちがあるので。
・・・ただし、時と場合によっては
せどりを『ビジネス』として捉え、
業(なりわい)として生きてくのなら
そうやって振りかざす正義感さえ
『ただのワガママ』になり得るわけです。
そう思いませんか?だって・・・
家族や自分を食わせていかなきゃならない
わけなんだから。それが僕たちの責任。
個人的な『好き嫌い』に拘るあまり、
潔癖を主張したり正義に固執するあまり
『責任まで放棄』するのはイカンと思うんですよね。
実際のところ、僕の場合は、
『嫌いなことはやりたくない』とか
『美しく生きたい』みたいな
ある種の個人的なワガママから発生する不利益を補う意味で、
サイトアフィリとか情報発信を取り入れて
”稼ぐ”ってことを相互補完している部分もありますしね。
正義面するからには自分のケツは
自分で拭かなきゃ格好つかないですから。
それに僕だって、今はせどりに関しては、
中古品や、新品であっても『余り物』のみ
狙って仕入れしているけど
家族が病気になったり、
お金が必要で止むにやまれぬ事情があれば
僕もなりふり構わず仕入れしまくるでしょう。
それこそ予約転売もガンガンやると思います。
この『正義とか何か?』って話は、
銘々その判断基準が違うと思います。
ケースバイケースなことも少なくないし。
どれが正しくてどれが間違いって
一方的に決めつけていいもんじゃない。
僕は少なくとも、
飢えて死んでしまいそうな貧しい子供が
店先からリンゴを盗むのは仕方ない。
と思う程度にはエゴを推奨するクチですが。
まあ、どれが正しい間違いって答え以上に
『それを考え続けること』が大事なのでしょう。月並みですが。
と、いうわけで、あなたにも問いたい。
『正義』ってなに?
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
この辺に折り合いをつけておかないと、
たぶん潔癖である人ほど後々苦悩すると思うので、
今日はこんな話題を選んでみました。
ちょっと考えてみて下さい。
ではではー。
PS.
2ちゃんねるなどでは、
『ブックオフにいるせどりマジ邪魔』
『乞食みたいなことしてんじゃねーよ』と
せどらーって嫌われてることが多いです。
でも、仕入れてAmazonに出品した商品を
購入してくれたお客さんから
「ずっと探していた商品です。ありがとうございました」
と感謝の言葉を頂いたことも一度や二度ではありません。
あなたも経験あるのではないでしょうか?
これもせどりの醍醐味の一つですよね。