「最初にお箸考えた人ってすごいよなー」が口癖でおなじみのラッタです。
「やっぱ使えないとよくないよなー」
ってことで、
ここのところ、
ChatGPT4を仕事に活用することにしてまして・・・
今までよりも強く思うようになりました。
「ライターって仕事、
マジでそのうちなくなるんじゃね…?」
いや、、以前から言ってるとおり、
・作品
・キャラクター
の2軸を確立して伸ばして、
文脈ありきの「個」として活動していく。
そういう活動の一環としてのライティングは相変わらず安定してるし、
それどころか今後どんどん大事になっていくと思うんですけど、
僕がやってるような
「ゴーストライター」のような
ただ読みやすく伝わりやすく
(読み手にとって)魅力的な文章を書く作業。
これについては、
正直ChatGPT、
「来るとこまで来たな」って感じです。
いまだに文章系、、
とくに自分のライティングにこだわりがある
職人気質な方からは敬遠されがち
・・を通り越して、
「たかがAI」と舐められてたり、
なんなら憎悪すら向けられたりしがちなChatGPTですけど、
言ってる場合じゃないぞ?と思います。
あっという間に寝首かかれんぞと。
とくにGPT4になってからは、
「すげぇ…」と感動すら覚えます。
たぶんちゃんと使いこなせたら、
今までの10倍とかそれ以上のスピードで文章書けそう。。
実際のところ、今の僕は、
「ラッタ」としての個を出さない文筆には
すでにChatGPTを結構な割合で使ってる。
ライターの立場として
AIを利用してライティングをしてて
その上で「ライターやばくね?」となってる感じです。
ここ1ヶ月くらい
ChatGPTをしっかり触ってみて分かったのは
「活用できる人はとことん活用できるし、
活用できない人はとことん活用できない」
ってこと。
で、当然ですが、
使いこなせない人からピンチになっていくでしょう。
めちゃくちゃ優れたレーシングマシンって、
それを使ってサーキットを鮮やかに疾走するか、ただの鉄クズにするかは
結局、乗ってるレーサー次第じゃないですか。
だからまだまだ、
ChatGPTってマシンをちゃんと乗りこなすためのレーサーってとこで、
ある程度の才能というか資質ってとこで差はつくと思います。
まあでも、
ここも「やるかやらないか」「知ってるか知らないか」だけの話になるかもー。
こないだ、
誰もがあっさりChatGPTを使いこなせるようになる
ある意味悪魔のようなやり方見つけちゃったし。
で、
こうなってくるとですよ?
いよいよ、
「AIに負けない文章」
「機械に仕事を奪われないためには」
↑これ言ってる人、
いつまで言ってんの?とか思うわけですよ。
人間VS AI の対立じゃなくて、
人間& AI の「共生」って構造を描くのが大事ってのは
いろんな人が言ってますけど、
これ、そういう時代がやがて来るよーって話じゃないですからね。
「もう来てるよ」だからね。
AIの台頭を語る際に、
よく引き合いに出されるラッダイト運動。
イギリスで産業革命が起こり、
仕事を奪われることを恐れた人たちが
工場の機械を破壊した運動ですね。
気持ちは分かるんだけど、
じゃあ、
洗濯機が発明されずに今も洗濯板を使ってるほうがよかったですか?と。
炊飯器ないほうがよかったですか?と。
その結果「おかあさんありがとう」って気持ちは人々から消えましたか?
「おふくろの味」はもはや死語になりましたか?
今は職人気質なクリエイターからは
「AIふざけんな!」とか
「敵だ敵!」とか
逆に「あんなん敵じゃないよ」とか
まあ少なくとも、
好意的ではないってところが
旧ラッダイト運動と酷似してます。
でも、
文明の進化自体はただの現象であって
べつに「悪」ではない。
忍者って職業がもうないように、
ふすまの開け閉め係って仕事がもうないように、
ライターって仕事が淘汰されたら、
それはシンプルに「今の世の中になくてもよくなったから」。
僕たちにできるのは
変化する環境にひたすら適応することです。
もっともこれはライター以外の
ほぼすべての職業に言えることですけどね。
万が一「明日から廃業!」ってときが来ても
右往左往せずにいられるよう、
僕たちも時代に合わせて進化していきたいものです。
ではでは
Have a Nice Day&Night!
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